九条武子さんが(京都deお散歩10をご覧ください)、腹心の相談役を呼んで、飛雲閣のお部屋で、これほど苦労して婦人部の活動をしてきたのに、婦人部の活動を阻止されたり、女子大を作ることも協力を得られない悔しさを訴えたという話を本で読んでから、一度その飛雲閣を見てみたいと思っていました。
この建物は、飛ぶ雲と同じぐらい高いという意味で命名されたようです。特に3階部分は、当時としてはほんとに高いと思われていたようで、摘星楼と呼ばれています。星を摘むことができるほどの高さだと誇っていたということです。
今では橋がいくつか架けられていましたが、昔はもっと池の水も深くて、舟で出入りしていたそうです。そのため、入口は、舟屋のようになっています。
階段のところに舟を着けて建物の中に入って行ったそうです。
横の丸みのある屋根の建物はお風呂。1階部分で蒸気を起こし、2階が蒸し風呂になっているのだそうです。石焼きに水をかけて湯気を起こすようです。
外壁には歌の名手36歌仙の絵が描かれています。
建物の中には入れてもらえないのですが、中がどうなっているのか、見てみたいものです。本願寺の中に、別荘があるような建物です。
書院は入口のところに虎の絵がたくさん描かれています。今では色がくすんだり薄れたりしていて、その跡がわずかに見えるだけなのですが、竹の中に想像上の虎の絵がたくさん描かれているところを通って、中に入って行きます。日本には虎は住んでいなかったので、虎の皮を輸入し、故事を読んで、虎を想像して描いたのです。
お部屋がまた素晴らしく美術的なのです。まるで美術館のようです。ふすま一面、天井一面に絵が描かれています。
特に素晴らしいのは、雁の間です。朝、雁が起きて飛び立つ様子、昼間雁が餌を食べているところ、夕方雁がねぐらに戻るところが、右手から順に左に向かって、ふすまに描かれて行きます。そして、左手の欄間には、やはり雁が飛んでいる様子が彫られています。その隙間から見えるのは、隣の部屋のお月さん。つまり、欄間の雁は、夕暮れ時にねぐらに帰って行く雁なのです。隙間から隣の部屋のお月さんを借りて雁の様子を描くというのは、なんというすごい発想と趣向。
どの部屋にも当時の有名な絵師の絵が描かれているのですが、今ではすっかりくすんでしまっているけれど、金をたくさん使い、色鮮やかな絵だったようです。動物、鳥、花がふすまにも壁にも天井にもあらゆるところに一面描かれているのです。
かなり広い敷地面積ですが、この敷地の中に、能舞台が4つもあります。2つは外に作られたもので、豊臣秀吉が作らせたもの(南側、重要文化財)と、徳川家康が作らせたもの(北側、国宝)があります。家康が作らせたものには、松ではなく、雲の絵が描かれていました。それは、一説によると、秀吉よりも上に居て、松を見ていることを表しているとか。
お庭もすごい趣向が凝らしてありました。
上の方に見えている屋根が御影堂なのですが、それを中国の廬山とみなし、その裾を流れる川をイメージして作ってある「虎渓の庭」と呼ばれるお庭です。冬を越すためにサテツがこもを着せてもらっています。
書院玄関に入る門です。
天皇が来られたときにのみ開けるという唐門。最近では、エリザベス女王が来られた時にここから入られたそうです。
ここに彫刻されているのは、想像上の動物である麒麟や獅子、中国の故事に基づいた絵です。それらをゆっくりみんな見ていると、日が暮れるほど時間がかかるというわけで、日暮門と呼ばれているのだそうです。
ここに彫刻されているのは、想像上の動物である麒麟や獅子、中国の故事に基づいた絵です。それらをゆっくりみんな見ていると、日が暮れるほど時間がかかるというわけで、日暮門と呼ばれているのだそうです。
中国の故事に基づいた絵。
書院も飛雲閣も、一般の人はあげてもらえないようなところだったのでしょうけど、それにしても、お寺って、美術館みたい。日本のハプスブルク家かと思うほどの贅と粋を尽くした建物でした。お寺って、けっこう、美術作品がふすま絵や天井絵に描かれていますが、どうも、高貴なお方が起こしになった時のためのものだったということで、お寺と天皇家のつながりの深さに、少々複雑な思いも・・・。