京都deお散歩 55 ~時代祭~

 
 
 先週の終わりから体調を崩し、日曜日は食事を求めて実家に帰省(寄生?)。
 
 土曜日が天候不順のため、時代祭が延期になったとかで、実家の前は賑わっていました。
 
 体調がよくないので、寝転んでいましたが、昔から聞きなれた笛や太鼓の音が聞こえてくると、やはりちょっと見てみようかなという気持ちに・・・。
 
 時代祭明治維新から始まります。平安神宮のお祭りなので、明治になって天皇の世になったことはたぶん重要なできごとだということなのでしょうか。
 
 
 
                明治維新  鼓笛隊
 
 
 
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                     勤皇の志士
 
 
 
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 桂小五郎や西郷さんなどが通りました。
 
 この桂小五郎や西郷さんには、地元のおじさまたちが毎年出られます。
 
 私の友達のご主人も、何の役だったか、○○万円を払っていい役を取られてました。
 
 ただし、奥さんの方の私の友達は、「旅館を建て替えたばかりでローンいっぱい抱えたのに、何が時代祭や~」と言って、猛反対されてましたが、・・・。
 
 こういうのに出るというのは、京都の地元でお商売をしている殿方にとっては、一種のステータス、うれしいことなのです。
 
 また、平安神宮の関連の氏子さんたちの中からも、町内代表で出ることもできます。
 
 私の祖父も、昔々、裃をつけて行列に出ましたよ。
 
 
 
 おもしろいのは、江戸時代の行列のあり方。
 
 徳川家康は、・・・・・・。
 
 京都に関係ないということでしょうか、天皇家と対立していた徳川家だからでしょうか、彼の姿は毎年見ません。
 
 また、「参勤交代」ではなく、「徳川城使上洛列」。京に江戸城からの使いがやってきたときの行列というふうに、常に京都が中心になっています。
 
 
 若い人たちがパフォーマンスをしながら行列します。今年は特に若者が元気でした。
 
 
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 ふさふさの棒を振り上げて、こちらもパフォーマンス。
 
 昔は、税金をたくさん納めているおうちの前でだけこの棒を振り上げていたのだそうです。
 
 今年は若い人たちが元気にあちこちで振り上げていましたが、以前は年配の人が決められたおうちの前で振り上げておられました。
 
 
 
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   大河ドラマでいえば、天璋院のほうが有名ですが、時代祭和宮さん。
 
 
 
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 実家の前の道では、こんなふうに見学している人がいますが、実は、こういうのんびり見学はとても危険。
 
 馬が突然突撃してくることがあるのです。いつも逃げられる態勢で見学しないと、危ないのです。
 
 
 
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 武将姿の人が馬に乗ってたくさん通りますが、私はもっぱらご婦人の方に関心があります。
 
 
                     出雲阿国
 
 
                鴨川の河原で踊っていたのだとか。
 
 
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 今年は馬も牛もなかなか美しい姿のものがたくさん出ていました。
 
 牛車の牛もきれいでした。
 
 
 
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 牛車で気になるのは、この後側。
 
 源氏物語では、賀茂の祭の日に、牛車で女君や女房たちがたくさん出られていて、普段、姿を見せない女性たちが、この後ろの御簾のところから、色とりどりの着物の裾を見せていて、それが世間の人たちをわくわくさせたのだとか。
 
 
 
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           京都の庶民の行列です。
                   
                     大原女。
 
 
 
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                     桂女
               鮎や飴を売ってるのだそうです。
 
 
 
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 さて、ここからはきれいな女性たちの行列です。
 
 
                       淀君
 
 
 伏見城に息子と暮らしました。また、父母の菩提を供養するために建てたのが、三十三間堂のお向かいにある養源院。
 
 このお寺は、伏見城で自害した人たちの血塗られた床板を天井板にして、亡くなった人たちを弔っています。
 
 
 
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            五条の橋の上で弁慶と戦った源義経が愛した
 
                      静御前
 
 義経は、東北の平泉に逃れる時、静御前は途中で帰して、弁慶とともに行ったということでしたが・・・。んんん・・・??? 別の女性が一緒に着いて行ってたんだぁ、おまけに子供も一緒・・・?!。「義経記」を読んだ時、驚いてしまいましたぁ。
 
 なあんだ、いろいろ愛人がいたようで、少し、イメージがちがってしまいました。
 
 のびた君の大好きなしずかちゃんは、「源」姓でしたね。 
 
 
 
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 さて、次は、巴御前。一番かっこいい役です。
 
 木曾義仲の寵愛をうけ、義仲が亡くなったあとは尼さんになっています。

 『源平盛衰記』の内容から、天冠をかぶり鎧を着け太刀を帯に着けて長刀(なぎなた)を持つという姿になったそうです。
 
 このあたりのきれいな女性たちは、芸者さんですが、特に、この巴御前は、祇園の芸者さんと先斗町の芸者さんが毎年交代して扮するのだそうです。
 
 今年はたしか、先斗町のはずです。
 
 
 
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 常盤御前義経の母です。
 
 京都嵯峨野の近くの常盤というところに、彼女のお墓があります。
 
 彼女は、源義朝の側室で、義経など、男の子3人を生みましたが、平治の乱で夫は謀反人に。
 
 息子たちだけは助けてほしいと、京の六波羅探題平清盛を訪ね、お願いに行く時の様子が、この行列の姿です。
 
 その後、平清盛の妾になったとか。義経はそっと父親の敵を狙っていた時に、弁慶に会ったわけです。
 
 そして、その後には、息子義経を異母兄の頼朝に討たれるという悲劇に見舞われます。そんな乱世を、彼女は、一条長成に嫁いで、娘を生み、うまく乗り切ったのだとか・・・。
 
 
 
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           こちらも芸者さん扮する清少納言紫式部
 
        仲の悪かったおふたりを、同じ車に乗せての行列です。
 
 
 
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            さて、いよいよ、平安時代の初めのあたり。
 
                    小野小町
 
 
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              平安時代延暦年間
 
                  女官  和気廣虫
 
 
 彼女は、無欲で慈愛に満ちた人だったようで、孤児の養育に貢献した人だそうです。御所の傍の護王神社には、弟の和気清麻呂と共に祀られ 慈愛に満ちた子育ての神として厚い信仰を集めているようです。
 (C)よろパラ ~文学歴史の10~
 
 
 
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                   百済王明信
 
 百済国から亡命した王族の子孫です。祖母は聖武天皇の寵愛を受けた女性。
 
 彼女は、桓武後宮のトップレディーで、平安京造営の陰の権力者だったとか。
 
 
 
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 その他、気になる女性たちがいろいろいました。
 
 時代祭に登場する女性たちは、かつて京の地でそれぞれの運命を生きた女性たち。
 
 建礼門院の雑司で、滝口時頼と恋に落ちた横笛の姿もありました。彼女は、時頼が出家した後、嵯峨に彼を尋ねた時の市女笠に袿姿で登場します。
 
 さて、こんなふうに歴史を生きた人たちのことを思いながら行列を観ていたら、ちょっとは体調もましになってきたかな・・・。
 
 毎年、父が、祇園鳴海屋さんに栗赤飯を買いに行きます。82歳ですが、自転車に乗って今年も買ってきてくれました。  
 
 
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 食欲があまりありませんでしたが、母の作った卵のおつゆと、ひじきとお豆を炊いたのとで、お昼をいただきました。
 
 
 
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 時代祭は、栗赤飯と酸っぱいお蜜柑と和菓子がいつも用意され、お客さまにも振る舞われますが、今年は祖母が亡くなったこともあり、どなたも呼ばず、静かに家族だけで観ておりました。
 
 お向かいは、友達の家なのですが、最近、お父さんが亡くなったので、ひっそりシャッターを閉めたままでした。
 
 実家の近くは、老齢化が進んでいて、ひっそりした町内になっていましたが、今年は比較的通りには観光客の方も増えていて、久しぶりにちょっとにぎやかな雰囲気でした。