にしんそばとかやくご飯
母からかやくご飯が届きました。美味しいしば漬けも。
近所の八百屋さんで売っている美味しいお蕎麦を買ってきて、にしんそばとかやくご飯定食を作り、お昼に食べました。
母には、かやくご飯が入れられていた容器を洗って、サンドウィッチを入れてお返しに。
顔を見ると、ついついきつい言い方をしてしまうので、物々交換でよく交流しています。
さて、そろそろ桜のつぼみも膨らみかけてきたようです。春は震災でも同じようにやってきます。
おとついの夜、二条城の周りをウォーキングに行ったら、「つぼみ膨らむ」となっていました。25日から例年通り、二条城もライトアップ中です。もうすぐ満開が近付くと、二条城のチケット売り場のあたりは大混雑で、ウォーキング中もそこだけは歩きにくくなります。毎年、その列についでに一緒に並んで、二条城の夜桜見物をウォーキングコースに入れています。もうあと2日で4月。
東北のほうでも、桜は例年のように咲くのでしょう。被災者の方たちは、どんな思いで桜を見られることか・・・。春というのは明るいので、時として人を悲しい気持ちにさせるものです。
パンをいつも教えてもらっていた伯母も、娘を亡くしたばかり。
気がきつい伯母なので、いつも娘に文句ばかり言いながら娘と暮らしていましたが、きっと今年は桜を見るにつけてもつらいことでしょう。
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
『在りし日の歌』より
伯母は、もう80歳をとうに越しているので、娘亡きあとは、ひとりで暮らしてパンを教えるのは危ないと、親戚中から下の娘のところに引き取られていくべきだと説得されていました。
下の娘のほうは、一緒に暮らすとすぐに喧嘩をして、伯母が、「お世話になりました。さあ、荷物まとめておくれ。」と孫に言うのが落ちなので、「お世話になりました。」と言っても、すぐに出ていけて、しばらく顔を合わせなくてすむ同じマンション内に、別の部屋を用意すると言っています。
私は、せっかくバリバリと元気にパンを教えていたので、残念だなと思っていたのですが、とうとう伯母も弱気になって、お通夜の前の晩には、引き取られていこうと思うと言っていました。ところが、どうもお通夜の夜に気持ちが変わったらしい。
納骨のあとの、初七日の集まりで、最後に親戚にあいさつをした時、「私には生徒さんもたくさんおります。まだまだ辞められしまへん。教室は続けます。そりゃ、そうどすわなあ。みんな待ってくれたはりまっさかいなあ。」とみんなに宣言しました。
親戚一同、「・・・・・・。」
私は、パチパチパチと拍手を送りたい心境なのですが、たぶん、ひとりでというのは危ないので(伯母はすぐに小さな椅子の上にひょいと乗って、上の棚からものを取ったりするのです)、むずかしいのかなあ。きっと親戚中からまた猛反対をされることでしょう。
この春、気が弱くなってしまったら、パン教室ももうおしまい。でも、持ち前の勝気さでやり抜いたらまだまだ続けるかな。
パン教室を辞めたら、きっと急に老いてしまいそうに思うけど、あの伯母は、危ないことを平気でするのも確かです。どうなるのかな?