雑感 21 ~東北・関東大震災生活物資支援~

 
京都市のHPに何か載っているかなと思って調べたら、民間のボランティア団体「環境共育事務所カラーズ」というところがお世話してくださっているのを知りました。
 
 
きょうは朝から自転車で室町二条上がったところにある「さいりん館」まで支援物資を持って行きました。
 
 
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京町屋は奥深く、お座敷の向こうまで大きな段ボール箱がいっぱい置いてあり、支援物資の種類によって分けられていました。
 
 
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支援物資はひと箱分で1000円の送料をめどに募金します。大きな段ボール箱にたくさん詰められた物資は、車で運ばれます。
 
 
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ボランティアも募集されていたので、お手伝いしようと思っていたのですが、いとこが急死。昨夜から滋賀県のほうに出かけていて、きょうは朝のうちに大急ぎでとりあえず用意していた物資を自転車で運んだのです。
 
水やお茶はやっぱり重い重い。1回目は10時半ごろ行ったのでまだ始まっていませんでした。よく文章を読んでから行かなくては!11時からでした。
 
もう一度、まるで運動でもしているぐらいの力を出して自転車をこいで、行きました。
 
急いでいたので、大慌てで家に帰りました。帰り道は荷物がなくなり、スイスイと自転車がこげるので、猛スピードで走っていたら、段のところでハンドルを切り損ねて、バッターッン!
 
アスファルトの道路に思いっきり膝の下を打ちつけて、怪我もしました。
 
「このごろ、とてもいいバンドエイドが出ている」と息子が教えてくれたのが、これ。
 
 
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消毒液を使うのではなく、流水で洗い、このパッドを貼っておくほうが治りがよく、しかもきれいに治るらしい。消毒をすると、細胞にとってよくないということがこのごろ、わかってきたのだとか。
 
それで、薬局へ行って買ってきました。
 
実は、自転車に乗ったのは、2年ぶり。ちょっと調子が狂ったのは、久しぶりだったからか、年のせいなのか・・・。
 
さて、いとこが急死したのですが、はじめて納棺というのをみました。映画の送り人みたいなことはなかったのですが、それでもとても丁寧に亡くなった人の体を清め、きれいにお棺に入れてもらえました。
 
亡くなったいとこは、パン教室をしていて、私がパンをいろいろ教えてもらっている伯母の娘です。
 
伯母は、いとこが亡くなったことを、母に電話してきたのですが、その時、「Mちゃんなあ、いってしまわはってん」と言ったそうです。母は一瞬、どういうことやろうと思ったようです。
 
「逝ってしまった」ということなのですが、私には、「先に行ってしまった」のように聞こえました。
 
伯母は、60歳になる娘に振り袖を着せたかったようです。いとこは独身ですので、それでもいいかと思います。そこで姪たちと一緒にどの着物を着せてあげようかと相談し、華やかな柄の、薄いクリーム色の着物になったようです。
 
その着物を、納棺のとき、亡くなったいとこは、とても丁寧に着せてもらっていました。
 
伯母は、「この着物着て、またお茶の先生のとこ行っといないや」と声をかけて涙ぐんでいました。
 
その様子を見ていて、震災で一気に亡くなってしまった人たちは、こんなこともしてもらえなかったんだなと思いました。
 
久しぶりにいとこたちと会いました。みんなもうおばさんになっていました。そして、久しぶりに、京都弁丸出しの会話を聞きました。
 
京都の人って、「~~しゃはった」とか、「~~しゃはるねん」という言葉って、猫にも犬にも使うのです。そして、もうおばさんになった人たちが、お互いを「○○ちゃん」と呼ぶのも、いとこならではです。そして、私って、ほんとに太ってしまった!と思って、この春は、ダイエットに励まなくては!と思っていたけど、いとこたちはもっともっと膨らんでいました。
 
亡くなったいとこはもの静かな人でした。にこにこしながら私たちの話を聞いていたような、そんな人だったので、この日も、隣りのお部屋でにこにこしながら聞いていたみたいな感じさえしました。
 
お通夜に行くと、かつてまだまだ若かった伯母さんたちは、みんな背中を丸くして、小さくなって、年を取っていました。
 
80歳半ばだけど、バリバリとパン教室で教えている伯母さんも、今夜はよろよろした感じでした。それでも、帰りしな、「昨日あげたレシピでな、シフォンケーキ、うまいこと焼けるさかい、あれで焼いてみとおみ。失敗したかて、かまへん。卵5個使うけどな。失敗してもええ、卵5個つこうて、一回やってみとうみ。」と、私の手を握りながら言っていました。つらいでしょうのに、ひとりひとり、その人に応じた声かけをしていました。
 
伯母にもらったレシピで、この春、シフォンケーキを焼いて報告できれば、と思います。