春の訪れ間近
菜の花と苺を添えて
オムライスのお弁当
きょうは、暦の上では、雨水(うすい)。
雪から雨に変わりだす頃だとか。
農家では、きょうから種まきの準備を始めるのだそうです。
また、きょうからお雛さまを飾ると良いご縁に恵まれるのだとか。
そこでさっそく飾りました。この春から、またいろいろな方がいろいろな良いご縁に恵まれますように。
このお雛さまは、知り合いの方の手作りのいただきもの。
さて、来週には、京都でもいろいろと春の訪れを感じられる行事が行われます。
春の素敵な漢詩をひとつ紹介。
胡隠君を尋ぬ 高啓
水を渡り 復(ま)た水を渡り
花を看(み) 還(ま)た花を看る
春風 江上の路
覚えず 君が家に到る
運河に舟が行き交い、運河沿いには、春の花が咲き乱れていたのでしょう。
そんな春のある日、高啓は、隠遁生活をしている友を訪ねたようです。
あちらにもこちらにも春の花が咲き、その美しさに目を奪われ、春の風に吹かれて運河を渡っている間に、気がついたら、あなたの家に着いていましたよ、という詩です。
高啓は、明の時代の人。日本では、室町幕府のころです。
若くして官僚になったというエリートでしたが、彼の書く詩や文章が太祖の怒りに触れ、39歳の時に、腰斬という刑に処せられたのだそうです。
中国の有名な詩人の多くは、はっきりと言いたいことを言ったがために、左遷させられ、不遇の晩年を送っていますが、彼はその中でも、若くして、たいへん悲惨な運命をたどっています。
私は、彼の、この春の詩がとても好きです。
この詩に出てきた蘇州の運河ですが、その運河には楓橋(ふうきょう)という有名な橋がかかっているそうです。そのたもとには、有名な寒山寺というお寺があるのだそうです。
夜中に運河を舟で渡り、楓橋のあたりで、寒山寺の鐘を聴いたという漢詩があるのですが(「楓橋夜拍」張継)、寒山寺の鐘は果たして夜中に鳴ったのか、と後々中国の人たちの間で問題になり、わざわざ鐘が鳴るかどうかを聴きに行った詩人もいたようです。
このあたりを旅したという私の漢詩愛好仲間の方(毎朝、NHKの「新漢詩紀行」を観ているというお仲間)におうかがいしたところ、「ぜひ、行ったらいいよ。蘇州の運河はなかなかいい。でも、中国は水が汚ないからなあ。舟の窓を開けた途端に臭い水の臭いが舟の中に入ってきてなあ。ぜひ、行ってきなさい。」とのことでした。
私がフラダンスとタヒチアンダンスを習いに行っている「レナ・フラスタジオ」も万寿寺通りにあるので、その際に紹介されるのだそうです。KBS京都が映るお宅の方で、遅くまで起きておられる方、お暇なら、どうぞ、ご覧くださいませ。私は、仏光寺通りに住んで知るので、すぐ近くの通りです。
では、蘇州の運河と橋については、下の写真でご覧ください。