九州への旅
【3日め】
~鹿児島を歩く~
桜島は、前日にこの写真の裏側が噴火したそうで、この日も灰が舞い降りてきていました。園の入り口でマスクをいただき、入園(日傘や上着の上には黒っぽい灰がついてしまいました。でも、これでもまだ風の方角が反対だったのでましだったのですが)。
この園は、島津家の別宅。
そりゃあ、こんな素敵な景色を毎日観ていたら、篤姫も故郷薩摩をどれだけ恋しく思ったことだろうとまず思いました。
「人が城」という考え方の島津の殿さまは、大きなお城を建てず、人を育てた人だそうで、この別宅も平屋でした。
この裏側の山に、「千尋巌」という文字の書かれた大きな長い石。
島津の殿さまは、えらい人だなあと思ったのは、単に大砲ばかりを作っていただけではなく、このお庭にも町中にもガス灯があったのですが、暗い夜に、行燈ではなくて、ガス灯を発明して、町にもお屋敷にも灯したのだそうです。発明大好きの殿さまだったようです。
そして、このバカみたいに大きな石に書かれた文字は、中国様式を取り入れてあるこの別荘に、中国の山をまねてのことなのですが、これは単に威厳を見せびらかすだけの目的ではなく、3,900人もの人夫を雇い入れた失業対策だったそうです。
山に足場を組み立ててこの文字を彫らせたそうです。島津の殿さまが治めた薩摩の国が力を持ったのは、こういう対策にも力を注いだことがあるからのようです。
望嶽楼
ここを訪れた沖縄の人たちに「千尋巌」を見せるための建て物です。沖縄様式を採用されています(とは言っても、沖縄は薩摩に占領されたというつらい歴史を持っているわけですが)。
薩摩の国の石垣
こういう石垣がまだまだ残っている町でした。
沖縄とはちょっと違った感じですが、これもなかなかの情緒を感じるものでした。
~知覧散策~
知覧と言えば、特攻隊基地。
以前、知覧の特攻隊のことを展示したところを訪れましたので、知覧と聞くと、やはり悲しい気分になってしまいます。
町の通りには、多数の石の灯籠が建ち並び、亡くなった若者たちの鎮護への思いが溢れています。
「富家食堂」という食堂の前もバスで通りました。その横には「富家旅館」。
この食堂は、映画「ホタル」の舞台になったところです。トメさんという後に特高の母と呼ばれた方がおられた食堂です。この食堂で、若者たちは訓練のあとにおうどんなどを食べていたそうです。
翌日に飛び立つ青年に最後のおうどんを出し、送りだしたトメさん。青年は、「ホタルになって帰ってきます」と言って去ったそうです。
よく夕、トメさんは、窓から飛行機が飛び立って行くのをみたそうです。「宮川三郎君が乗っているんだ」と思って悲しくその飛行機を見つめていたそうです。
そのすぐあと、一匹のホタルが、トメさんの食堂に入ってきて、お客さんが何人もいるのに、ぜんぜん飛び立たず、ずっと柱のところに止まっていたそうです。
「宮川君だ」ということで、おうどんをつくって出したそうです。
そんなトメさんの話を、特高で飛び立った若者たちの遺族が聞きにくるようになり、トメさんは、遺族にだけ思い出話をしていたそうです。
遠くから来た遺族は、帰りが遅くなり、帰れなくなるそうで、そこで横に「富家旅館」を建てたそうです。
知覧といえば、特高の町としか知らなかったのですが、今回は、別のところを散策することになりました。
~知覧武家屋敷~
今も昔ながらの武家屋敷が残る一区画があります。
お庭が公開されています。
知覧型二ツ家
二つの屋根の間に、小棟をおいてつなげてある家
さすが男尊女卑の国・鹿児島。
武家屋敷では、男玄関と女玄関にわかれていました。
大きな男玄関
その横に小さな女玄関
どこのおうちも日本庭園が立派に造られていました。
その他、知覧で有名なのは、お茶。
初めて鹿児島を訪れた時、日本三大銘茶のひとつだと聞きました。「宇治茶と、鹿児島と、静岡かな?」と思いましたが、鹿児島での説明を読むとぜんぜんちがっていました
でも、鹿児島のいたるところでお茶畑をみて、これは宇治茶は確かに及ばないなあと思ったのは、お茶畑の面積がまったく問題にならないほど、鹿児島では広い広いのです。これでは生産高ではまったく及ばないだろうなあと脱帽しました。納得
知覧茶を買って帰りましたが、なかなか後味よく美味しかったです。
草のようなお茶の匂いが癖になりそうなのは、静岡茶(友達が毎年初夏に新茶を送ってくれます)。後味よくさっぱりしているのが知覧茶かな。とっても美味しくて、帰ってからも、暑いのに、ついつい飲みたくなってしまいます。
さて、鹿児島といえば、開聞岳。
池田湖に浮かぶ開聞岳もとてもきれいで
絵はがきのような景色でした。
池田湖の辺りから雨がポツ、ポツ。
九州最南端の長崎鼻に着いたときには雨が降り出していました。
開聞岳にも雲が・・・。
77キロ先には屋久島が見えます~。」
という説明を聞いて、屋久島を探そうとした途端に、
ジャァ====
そして、ピカッ ゴロゴロゴロ~~
頭だけは隠せたけど、それ以外はすごい降り方にずぶ濡れ
鹿児島最南端の長崎鼻では、木々の生え方がジャングルのようでした。
これが亜熱帯の本来の自然なんだなあとずぶ濡れになりながら、感心してみとれていました。
また、雨の降り方も実にダイナミック。
何十日ぶりかの雨だと売店のおじさんが言っておられました。
売店も、実に古めかしい。いかにも昔ながらの観光地と言った感じです。
でも、それがこの自然そのままを残した長崎鼻の景色にはとても合っていて、なかなかいいものでした。
この先の屋久島は、今では多くの人が訪れ、きれいに整備もされてきているのでしょうけど、林芙美子の「浮雲」(戦後すぐに書かれた作品)によれば、ちょうどこの長崎鼻のうっそうと繁った木々がジャングルのように生えていたのだろうなと思われて、おもしろく景色を見ていました。
・・・・・・??いつ止むんだろう、この雨。
仕方ない、バスのところまで走るしかないか~、と傘などぜんぜん役に立たないような雨と雷の中を走って、観光バスのところまで行きました。
もう全身びしょびしょ
明日、何を着よう、Tシャツはともかく、パンツ(下着ではありません)はこれを明日も履く予定だったのに~ 残っているのは、部屋着にと思って持ってきた薄っぺらいスカートのみ。
教訓:旅行に行く時には、どんなアクシデントがあるかわかりません。余分に服は持って行くこと。
友達はたくさん持ってきていました。
友達:「だって、この年になったら、どこでこける(転ぶこと)かわからへんもの」
全身ずぶ濡れでたどり着いたホテル「指宿いわさきホテル」では、何よりもまず、お風呂へ直行。
このホテル、ハワイアン気分をものすごく出していました。そして、その気分を盛り上げるためのいろいろな工夫がされているみたい。
なんと!宿泊客は、男性はアロハシャツにアロハズボン。女性は、ム―ム―
友達:「ムームー?? お腹出すんやろか・・・」
残念ながらお腹は出しませんでした。
夕食会場
周りにはバイキングのお料理がいっぱい
ハワイアンのショーもあるらしい。楽しみ~~
ショーを楽しみにして、ゆっくりいっぱい食べていたけど、いつまで経ってもショーは始まらず、ハワイアンメドレーばかりが流れてるだけ・・・
なんと!「水曜日休演日」の張り紙をあとで見つけました。がっかり~~
私が踊ってあげたのに~~
このお食事中も、雷が鳴り響き、大雨の音、音、音
ひと晩中大雨の音が聞こえて、なかなか寝付けず、朝を迎えました。